人生ベリハ

人生ベリーハードモードのオタクが書きたい事を買いていくブログです。

器の大きな人間になる方法はあるのか 〜許容範囲の広さと人格の大きさ〜

サムネイルの画像はただのお茶碗(器)ですが、今回は人格の大きさを意味する器に関してのお話をしたいと思います。9割勝手な愚痴なので物好きな方以外は他の記事に飛んでください←

 

いきなり個人的な話になりますが、自分は4月から大学院生になり研究室という狭い世界に深く属することになりました。仲の良い友人は留年したり、就職したり、他の遠い研究室に属したりと、彼らと直接会う機会がめっきり減ってしまいました。

 

小学校〜大学生まではある程度仲の良い友人とだけ深く関わり、他のあまり関わりたくない人とはそこまで深く関わる必要性はありません。しかし、研究室や職場においては、関わりたくない、気が合わないと思った人とも深く関わる必要性が出てきます。この点においては自分以外の多くの方にも当てはまることだと思います。

 

そして、いざ自分がそのような環境に飛び込んでみると、今まではそこまで考えていなかったことまでいろいろ考えるようになってきました。

 

そのうちの一つがこれです。

 

 

 

「あれ、この人器小さくね?」

 

 

        ↑ ↑ ↑

ものすごく上から目線で傲慢な考えですよねw

 

 

 

自分も人のことを言えないのですが、そう思ってしまいました。

自分にとっての器の小さい人間とは、許容範囲の狭い人間を意味しています。そして、そのような人はとても苦手です。

皆さんの周りにもいないでしょうか。常に否定から入る人間

会話をしている時に顕著に見られるのですが、話の初めから否定意見ばかりで決して他の情報、意見などを受け入れないのです。理系で理屈っぽい人によく見られる傾向なのですが、このような人は嫌われるような気がします。なぜなら自分も嫌いだからです(2度目ですが自分も人のことを言えないです)。

確かに十人十色、人はそれぞれ違った考え方をします。また、間違っていると思われるような不確かな情報もあります。でも、すべてを頑なに拒んで受け入れることができないのはどうなんでしょうか。

 

一方で許容範囲の広い人間とはどのような人なのかというと、まったく上記のような性質とは逆で、他の意見や情報を1度は受け止めています。このような人は友人が非常に多いような気がします。友人が多いというのもありますが、慕っている人も多い気がします。

 

抽象的なことばかりなので具体例を挙げたいところなのですが、いざ考えてみるとなかなか思い浮かびません。

 

↑ ↑ ↑

だめじゃん

 

 

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 

まったく知らない人の知恵袋の質問内容なのですが、”会話に関しての具体例”はこのような感じですかね。

 

 

結局許容範囲の狭い人間というのは頑固なのだと思います。そしてそれは思春期過ぎて人格が形成されてしまった今、どうすることもできないことだと思います。

 

つまり器の大きな人間になろうと思ってもなれるわけないということです。

 

↑ ↑ ↑

結局ないんかい。

 

 

 

 

また個人的な話に戻りますが、自分は深く関わらなくてはならない許容範囲の狭い人のことを理解しようとけっこう努力はしました・・・でもだめだった(理解できなかったためにストレスを溜める日々)。これは自分も器が小さいということを意味するのか・・・!?うーん、難しい。

 

 

 

 

 

以上、上から目線の傲慢な意見をつらつらと述べたくだらない雑記でした。

 

 

 

関連する記事

gatmaster.hatenablog.com

スポンサーリンク